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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:05:00 平均起床時刻:11:07

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02月16日(火)

起床時刻:10時30分[いま起きた]ボタンで記録されました。


https://ameblo.jp/ymznjp/

あたらしいブログのURLです。
早起き村は廃村になるそうなので、今日から上記URLに
ひっこします。

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02月15日(月)

起床時刻:17時40分[いま起きた]ボタンで記録されました。

今日は仏学院の画展を見てきた。
ギャラリーに少しだけ。

ちょっとでかけてみたかっただけだ。
そのあと、同じ学校の先生の部屋により「福」の字の飾り物をもらう。

家の中にはだんだんと福の字があふれてきた。
今年こそ福にあふれた年になってほしい。

〇「小姨多鹤」はあと五分の一を残すところまで読んだ。

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02月14日

起床時刻:00時08分[いま起きた]ボタンで記録されました。

日本でまた大きい地震。
息子がウィチャットで教えてくれたけど、そのときにはネットニュースで見ていた。

こういうのって、あとからだんだんといろいろな被害がわかってニュースになるんだよね。
あまり大きな被害がでませんように。

〇「43回の殺意」という本をKindleで買って読んだ。
あの川崎中一殺人事件の本だ。
ただの好奇心から買って読んだが、読んだら実に胸糞で眠れなくなった。

どうしてこの事件に興味があったかというと、わたしが若い頃その現場付近に住んでいたことがあったからだ。つまり大師線の沿線に。

そこがどういう土地柄か知らなかった。
不動産屋につれられて新築のかわいらしいマンションを見に行って気に入り、
あまりよく考えずにそこに住むことに決めた。
仕事がいそがしかったので寝に帰るだけであり、そうしているうちに結婚してそこを離れることになった。だから、土地柄が悪いと感じることもなかった。
しかし、大師線沿線の〇〇駅の近くに住むことに決めたと、取引先の人に言ったら、
「えっ。あそこ?」という微妙にひっかかる反応をされた。
たぶん、彼はそこの土地柄を知っていたのだといまにして思う。

殺された子の親を責めるわけではないが、この子も違う環境に生まれていたらこんなことにならなかっただろうと思わずにいられなかった。
少なくとも、深夜にでかけるのが当たり前ではない環境だったら?

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02月13日

起床時刻:15時50分[いま起きた]ボタンで記録されました。

02月12日(金)

起床時刻:09時59分[いま起きた]ボタンで記録されました。 11時06分[いま起きた]ボタンで記録されました。

今日は初一らしいが、別にどうということもない。
食べるものがなくなったので、あとででかけなければならないが。

昨夜は深夜まで甲高い声で騒ぐ人たちがいて、
今朝は早朝から甲高い声でカラオケをする人がいる。

まあ、正月だから?

〇ねいさんのところに書かれていたことをみて思ったのだが、わたしにはBLというものが理解できない。Amazonアンリミテッドの契約をすると、本のリストにBLコミックがぞろぞろと上がってくるから、こういうものをそれこそアンリミテッドに読んでいる人も多いのだろう。わたしが子どものころにも竹宮恵子などが人気だったから、最近こういう傾向がはじまったわけでもないのだろう。日本だけでなく、中国でもBL愛好者の女の子がたくさんいる。
以前、学校の子たちと食事にした時に、あるBL好きの女の子が「BLコミックを読めば、LGBTの理解にもつながるし、いいことなんじゃないか」と言っていたが、そういうことはないと思った。だって、BLはただの妄想だし、かえってステレオタイプや偏見を強める作用があるかもしれないではないか。勝手に妄想を膨らまして自分の欲求を満たすという点では、レズビアンものAV愛好のおっさんと変わらないのではないか。おっさんたちがいくらレズビアンものを見ても、LGBTの人たちが生きやすい世の中になるはずがなく、かえって気持ち悪い偏見が強化されるだけである。

わたしがBLになんとなく嫌悪を感じるのはそのあたりである。

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02月11日(木)

起床時刻:11時35分[いま起きた]ボタンで記録されました。

ひきこもりはやめよう、今日こそはでかけようと思っていたが、
あいにくじとじとした雨。
家にはでかけなくても十分なくらい食べ物があるし、今日もでかけないかも?

〇「芳華」も、「金陵十三釵」も、「帰来」も、みんな厳歌苓が原作を書いているのだ。
このひとはそういえば、あの胸糞映画「シュウシュウの季節」の原作者でもあるのだった。
この人の人気の理由のひとつは、性の問題などをタブーとせずにバリバリ書いてしまうところにあるんじゃないかと思う。

いま、彼女が書いた「小姨多鹤」という小説を読んでいる。
ドラマにもなったらしいが、劇中で「日本人女性の多鶴」が変な寿司を作って「おいしい!」と思わず日本語で声をあげてしまい、日本人だとばれるという片段をビリビリで見て、見る気をなくしたので、小説のほうを読んでいる。
日本人であることを隠そうとしているなら、なぜ「寿司」を作るのか。
それもサーモン寿司。たぶん、1950年代。
そんな時代には日本でもサーモンを寿司にすることはなかったはずだし、まして中国で生で食べられる魚が手に入ったのか。
海苔巻きの上に醤油をつけたサーモンの刺身を乗せて食べるのだと。
もうそのでたらめさが無理。

第二次世界大戦の末期に、ある夫婦の妻が日本兵の暴力によって子どもが産めない体になる。そこでその夫の両親が子どもを生ませる道具として残留日本人の若い女性を買って息子にあてがう。その後、この「三人の夫婦」がどのようにして彼女が日本人であることを隠しながら、中国人の妻を三人の子どもの「母」、日本人女性を子どもたちの「叔母」という体裁にして生活していくか…。それも、プライバシーもあまり守られない夫の会社の社宅のような環境で…。

そういう話である。これだけ読んでも、人々の劣情から生じる好奇心をくすぐりそうなストーリでしょう?

この小説の主人公の中国人夫婦は確かにすごく中国人風。
雑な生き方をしているけれど、人間味があって懐が深い。
これはすごくわかりやすい。中国人が考える中国人の良さを集積したような人物像って、こういうものなのだろう。
しかし、この多鶴のほうはどうだ?作者は日本に取材に三回行ってこの人物像を作ったそうだけれど、たしかに「取材三回」の人物像だなと思う。
まるで日本人女性のステレオタイプでもう辟易してきた。しかし、今さら知ったわけではないが、こういうのが日本人女性のステレオタイプなんだなと改めて確認できる。

昨日までで三分の一読んだが、先を読み続けるかは考え中。

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02月10日(水)

起床時刻:12時56分[いま起きた]ボタンで記録されました。

盒马で買い物するのがたのしくてつい買いすぎた。

昨日はまずカフェでコーヒー飲んでから、盒马で買い物して買ったものを置きに戻り、その後またでかけてMUJIで買い物して家の近くにきてからまた盒马によって買い物して帰った。

盒马で買ったモンブランのケーキはおいしかったが、日本円にすると400円くらいだから、日本の価格に比べてもそう安くないのだった。水餃子も一食分で500円以上。でも、おいしかった。
やはりモノの値段と言うものは、品質とある程度は比例するのである。
本来そうじゃなければいけないよね。

日本は、品質を高くしても値段を安くしますということにしたところから、おかしくなった気がする。
それで何がわるいといわれそうだが、結局、価格とは評価であり、高品質低価格というのは、とりもなおさず高品質でも評価しないということだからだ。
わたしがいた翻訳業界でもそうだったが、まじめに仕事をする日本人に「中国人ならもっと安く仕事をしますよ」と言って値下げをせまってきた結果がいまだ。中国人は高品質のものには高価格をつけている。才能がある若い人には高給を出している。そうやって内需を増やして繁栄している。(もちろん、これといって能力がない人は貧乏だけど)

低料金でも最初は精神論にたよって品質は保てるだろうが、そのうち、薄利多売のほうが有利だという圧力にだんだん負けて、高品質を目指さなくなるだろう。
日本の多くのスーパーでは、しょうゆでも麺でもいつのまにか高価格帯のものが消えていって、安くてそこそこ品質のものだけになった。一生懸命いいものをつくっても、それを評価して高く買う人がいなくなれば、技術は低下していくだろう。

いま中国がだんだんそれと逆の方向に進みだしている。
こういう形で日々母国の没落を体感している。

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02月09日(火)

起床時刻:12時32分[いま起きた]ボタンで記録されました。

今日はいい天気で暖かい。
窓を開けておいても寒くない。
ふらりと近所にでかけてコーヒーを飲み、最近近所にできた盒馬で買い物してきた。
お店もきれいだし、商品もきちんと衛生的に管理されている。
いままで買い物していたスーパーはいつも冷凍食品がとけかかっていて、気持ちが悪いと思いながら買っていたのだが、ここはしっかりと冷凍されている。
この土日は開店したばかりで混雑していたので入ってみる気がしなかったが、今日通りかかったらほとぼりが冷めたのかすいていたので入ってみた。

すき焼きセットや無糖ヨーグルトなどを購入。すぐに100元を超える。
ほかにもおいしそうなものがいろいろあったが、一人ではそんなに食べないので見るだけ。
こういうお店はどうなんだろう。他よりも高いけれど、スタバなどを常用する人も最近は多いから、それなりに繁盛していくのだろうか。
わたしは一人だからたぶんそこでいろいろ買うことになりそうだけど、家族がいていろいろと物入りな家にはあまり向かない気がする。

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02月08日(月)

起床時刻:00時10分[いま起きた]ボタンで記録されました。

02月05日(金)

起床時刻:10時50分[いま起きた]ボタンで記録されました。

昨日は、昼前から「金陵十三钗」を読み始めたらやめられなくて終に読了。

映画と小説では設定がずいぶん違った。
映画では、納棺師として教会を訪れたアメリカ人が義侠心にかられて少女たちを守るヒーローになるという
現実にはあり得ない感じの設定だが、やはり小説ではこんな人物は現れず、もともと教会にいた西洋人の神父と副神父が少女たちを守るのである。こんな安っぽいハリウッド的改変をしたのは、張芸謀がアメリカ受け、もしくはオスカー受賞を狙ったから?

そして小説では、神父自らが「純粋な少女たち」の代わりに「もはや純潔ではない娼婦」を差し出すことをあまり葛藤することもなく決意するのである。
招かれざる客である娼婦たちが、教会という神聖な場所で、これもまた無理やりに教会に紛れ込んだ軍人や教会のコックの劣情を煽り立て、副神父までがよろめいてしまうのだから、まあそれも当然という流れとなっている。しかし、イエス・キリストは遠藤周作が言っているようにそうした虐げられた弱いものこそ憐れむのではないだろうか。そんな考えでいいのか、神父?

その後、神父が娼婦たちにその話を切り出す前に、娼婦たちが自ら犠牲になると言い出すことによって、小説の中では彼女たちが神聖で尊厳あるものとして読者に印象づけられるから、まあ、神父がいったんはそう考えたとしてもいいでしょうと作者が考えているということなのだろうか。

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02月04日(木)

起床時刻:12時35分[いま起きた]ボタンで記録されました。

日本語の本と中国語の本と古漢語のテキストを並行して読んでいる。

古漢語のテキストは、やはり外国人が勉強するには、中国人の子ども向けよりも、外国人留学生向けのほうが勉強しやすい。

昨日は、「執長竿入城」。テキストの「古代笑話」という章にでてくるのだが、
わたしの頭が悪いせいか、どこがどう笑えるのかわからない。

たとえ城門を通れたとしても、長い竿を切ってしまったら、竿として使えなくなってしまうから、しかたがないということなのだろうか。
誰か教えて。

〇同じ章に「懶婦」という話も載っている。これは同じような話をなんどか読んだことがあるが、主人公は子どもだったり、夫だったりした。しかし、原作の主人公は女性だったということなのだろうか。それとも、もともといくつかのバージョンがあったのだろうか。

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02月03日(水)

起床時刻:09時33分[いま起きた]ボタンで記録されました。

今日も家で読書。

〇昨日から「金陵十三釵」を読み始める。
 設定がいろいろと映画と違う。
 映画では主人公だったアメリカ人の納棺師がそもそも出てこない。
 アメリカ人の納棺師は死んだ神父を葬るためにやってくるのだが、その神父が死なずに
 教会の統率者となっている。
 「単騎なんとか」がそうであるように、張芸謀はこういうやり方で外国人の有名な俳優を戦略的に使うのだろう。そうすれば、海外でも話題になるし。中国映画はあまり日本では上映されないが、「単騎なんとか」が日本で上映され親しまれたのは高倉健が主演だったからだろうし、「金陵…」がアメリカで上演されたのもアメリカ人の俳優が出演したからだろう。張芸謀は商売上手なのである。

〇「初恋がきた道」は、結局、まだアクがでていなかった章子怡のかわいらしさが売りの映画だったのだと思う。ストーリーだって単純だし。当時は中国映画というと単に娯楽のために見るのではなく、知識人とかマニアとかが中国の特殊な雰囲気を感じとったり、何かのメッセージを得たりするために見るものという感覚がまだあったような気がする。それが陳腐ともいえる恋愛映画だったので、「それだけ?」と思ったのだ。当時、大学時代のクラスメートと食事したときに、「あれ見て、それだけ?と思った」という話をしてうなずきあったのを覚えている。たぶん、章子怡のかわいらしさに胸がキュンとした人だけが感動したような気がしたのだろう。

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02月02日(火)

起床時刻:12時32分[いま起きた]ボタンで記録されました。

今起きた…わけではない。

昨日、「金陵十三釵」を見た。夜、息子からウェイシンで電話がかかってきたので、
見るように言ったが、そんな重そうな映画は見たくないと言われた。
それもそうだ。「シンドラーのリスト」や「火垂るの墓」と同じくらい重い。

南京事件のときに、女子学生十四名が教会に逃げ込んでくる。その後、娼館の娼婦もむりやりに教会に逃げ込んでくる。
その後、教会に飛び込んできた流れ弾で女学生一名が死亡。

その後、日本軍の兵士たちが乗り込んできて狼藉を働く。そのどさくさで女学生一名が死亡する。
数日後、日本軍の将校がやってきて、女子学生十三名を日本軍のパーティに招待する。もちろん、いかないという選択肢はない。そこで余興に歌を歌ってほしいというのがその理由だが、もちろん誰も歌を歌うだけで済むとは思っていない。
そこで女性学生に変わって、娼婦たちがみずから身代わりになって日本軍の下に赴いて、そのすきに女子学生たちはトラックの荷物の下にかくれて南京を脱出する。

〇ストーリーは以上のようなものだ。
わたしは日本人として、南京事件についてまったく日本の罪行を否定するつもりはまったくない。しかし、それ以外の部分で、これを見て納得がいかなくて、胸が苦しくなった。

物語の中で娼婦たちの何人かについて、自らが娼婦になった経緯が語られる。もちろん、なりたくてなったはずがなく、その当時の中国社会の悲惨な境遇の中でそうならざるをえなかったのだ。彼女たちは自分たちの社会における位置づけを知っている。そういう自分たちだからこそ、少女たちの純潔を守るために犠牲になりましょうと自ら言うのだが、そこがなんだかな。

この映画はどこが「感動的」だというのだろうか。
中国の社会で性的虐待を受けてきた女性なら、日本人の下でまた性的な虐待を受けてもいいということなのだろうか。いったん踏みつけられて汚れてしまった女性は、また他人に踏みつけられていいということなのだろうか。

中国の社会は、女性の「純潔」について今でも日本よりも重視する社会である。
日本からのAVの流入もあるが、そういう面でのこともあって、日本人女性は「開放的だ(つまり性的に)という偏見も根強い。
女性の価値をそこに置く中国の観念がこういう物語を感動物語として生み出したのではないかと思えてならない。

こういうことは多かれ少なかれ日本にもある。

たとえば、沖縄などで一般女性を守るために売春施設は必要悪なのではないかというような議論があると聞いたことがあるが、女性は女性なのであって守られるべき女性と守らなくていい女性があるわけではない。いったん何かの理由で「守られなくてもいい女性」の範疇に入れられてしまったら、もうその内面の葛藤は無視していいものなのだろうか。

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02月01日(月)

起床時刻:11時21分[いま起きた]ボタンで記録されました。 17時50分[いま起きた]ボタンで記録されました。

もう二月。

先週、このアパートに入居した日本人の先生が間に合わせの生活用品を買ってもらうときに、
わたしも便乗して電気ヒーターを買ってもらえた。

今日は雨降りで寒いのでそれを使っている。
しかし、スマホで週間予報を見ると、もうそんなに極端に寒い日はないようだ。
12月が一番寒かった。そのころはまだ通常通りに授業があり、
それも朝いちばんから始まるので、6時40分に家を出ていた。
わたしの部屋は大丈夫だったが、水道管が凍って水がでなくなった部屋もあったらしい。
そうなるとエアコンでは部屋は温まらず、布団乾燥機で布団を温めて早い時間に寝ていた。

その愚痴を他の中国人の先生に言っていたのが、伝わったのかもしれない。

〇今日もでかける気がしないので、家でビデオをみたり、勉強したりするつもり。
古漢語のテキストは、わかる部分には注釈がついているのに、わからない部分には注釈がついていない。そこでもう一冊、語言大学の外国人向けのテキストを購入した。
これを先にやっていれば、大学院時代の勉強ももう少し有意義なものになったのかもしれないと少し後悔。

〇今日は「金陵十三釵」を見る予定。

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